それからしばらくのあいだ
おとこはしあわせに歌いつづけました
ところがあるひ……
そのおとこのこの歌を
まねして歌うこがあらわれたのです
警 報 の 歌
昼下がりの町の市場は、沢山の人でにぎわっていた。
あちこちから客引きの声が飛び交う。
あっちでは値段をどうにか下げてもらおうと値切る客と粘る店員が。
こっちでは他愛も無い世間話に花を咲かせている。
そんな人ごみの中に、呂蒙と凌統はいた。
「すごい人だね…」
ボソリと、凌統が呟いた。
さっきから前に進むたびに、誰かと肩をぶつけてしまう。
「まぁ、たまにはいいじゃないか。こういうのも」
そう言って、呂蒙は笑う。
今日の呂蒙はなんとなく嬉しそうだった。
まぁ、外に出ること事態久しぶりなのだ。無理も無い。
それに、倒れる前はずっと仕事続きだったわけで。
こんなところに出てこれる暇など、当然無かったのだ。
そんなわけもあって、呂蒙はまるで子供のように目を輝かせていた。
まったく、この人はいったいいくつなんだと、凌統はそう思ったが、そんな呂蒙さえも愛しく思う自分がいた。
いい年した年上の………しかも男………を好きになるなんて、本当にどうかしている。
けれど、この人のことを想っているのは凌統だけではなかった。
あの甘寧も、どうやら呂蒙の事を想っている。
そうでなければ、甘寧が他人のことであんなに怒ったりなどしないからだ。
………そして、陸遜もその一人だ。
陸遜のことをどうこう言っても、誰も信じてはくれないだろうが…
陸遜は、狂っていた。
それを知っているのは、凌統だけだ。
あいつは、間違いなく凌統を殺そうとしている。
どんな形であれ、呂蒙に害をなすと判断したものは躊躇無く殺すであろう。
あの文官のように。
だが、凌統はまだ理解できていなかった。
なぜ、自分が狙われなければいけないのか。
凌統は呂蒙を好いている。
その相手に害をなすはずがないのに。
いくら考えても、呂蒙を傷つける理由が見当たらない。
むしろ、守ってあげたいと思うほどだ。
とにかく、注意を払わなければいけない。
凌統自身もそうだが、今は呂蒙がそばにいる。
守るべき、人が。
隣で笑っている。
この笑顔を守りたい。
欲をいうならば、自分のために笑ってほしい。
そんな考えが浮かび、凌統は首を振ってその考えを追い出した。
いけない。
自分のためになんて、そんな事を考えては駄目だ。
こノ ひトは
タイせツ な
たカらモノ だから
だかラ
「……凌統?」
呂蒙が凌統の袖を軽く引っ張った。
「どうした?怖い顔して……」
覗き込むように凌統の顔を見た。
どうやら、考えすぎて顔が怖くなってしまったらしい。
呂蒙がとても心配そうな顔をして俺を下から覗き込むようにしてみている。
……近い。
しぜんと、胸の鼓動が早くなる。
あぁ。
まったく、この人は。
人の気も しらないで。
「大丈夫か?顔が赤いぞ?」
そう言って、呂蒙は凌統の頬に触れた。
駄目だ。
もう、我慢できない。
頬に触れた手を握り返し、呂蒙の背中にもう片方の手を回して、引き寄せる。
そしてそのまま
唇を重ねた。
呂蒙は何があったのか理解できないようで、目を見開いて驚いていた。
そしてようやく状況を理解すると、凌統の胸を押し、無理矢理唇を引き離した。
「おまっ……何して…」
「ゴメン」
呂蒙が続きを言う前に、凌統が謝った。
「本当に…ゴメン……なさい…」
「……凌統……?」
下を向き、肩を震わせる凌統に、呂蒙はまた驚いたように目を見開く。
凌統が何を考えているのかがわからなかった。
謝るくらいなら。
あんなこと、しなければいいのに。
………多分、誰にも見られていないだろう。
だから、別に怒る必要はない。
ただ、驚いただけで。
「どうした?変だぞ、凌統」
「うん……本当だね……。何やってるんだろう、俺」
うつむいて、乾いたように凌統は笑う。
その姿は、とても痛々しかった。
「……もういいから。とりあえず、酒買って、戻ろう」
そう言って呂蒙が再び凌統に触れようとしたその時だった。
いままで騒がしかった音が、一瞬にして消えた。
いや、正確には消えてはいなかった。
客呼びをする店員の口は、競い合うように忙しく動いている。
消えたのではない。
空気が変わったのだ。
凌統と、呂蒙の周りの、空気が。
殺気に満ちた
空気に
凌統の額に、嫌な汗が滲んだ。
間違いない。
これは………。
この殺気は……。
あいつだ。
逃げろ。
早く。
ここから。
に ゲ ろ
気がついたときには、呂蒙の手を取って走っていた。
早く、安全なところへ。
こんな人通りの多いところでは、何をされるかわからない。
せめて、視界が確保されるくらいのところまで…。
走らなくては。
この人をつれて。
だが、空気はまだ変わらなかった。
それどころか。どんどん大きくなる。
このままでは、追いつかれる。
そう思った凌統は、自分が劣りになることを思いついた。
二手に分かれれば、必ずあいつは自分を追いかけてくるはず。
「呂蒙さん」
走りながら、凌統は呂蒙に言った。
「りょ、凌統っ!何でいきなり走るんだ?」
「……呂蒙さん、よく聞いてね。一回しか言わないから」
「……え?」
「俺達、つけられてるかもしれない」
「つけられてるって……誰にだ?」
呂蒙の質問に、凌統は口をつぐんだ。
はたして、言ってもいいのだろうか。
いや、言ったとしても、信じてもらえはしないだろう。
「…それは今はいえないけど、狙われてるのは、多分俺だ」
「!?」
「だから、二手に分かれよう。俺はまっすぐこの道を行くから、呂蒙さんは横の抜け道を通って」
「そうしたら、凌統が…」
「俺なら大丈夫だから。早く」
「…………わかった…。気をつけろよ…」
「うん。この先の広場でまた会おう」
そう言って、凌統は呂蒙の手を離した。
呂蒙は人ごみにのまれるように、姿を消した。
さて、あとは自分だけ。
逃げ切れる自信は無かった。
けれど、あいつの殺気はだんだんと遠のいていっている。
大丈夫。
あと、もう少し。
そう思った時だった。
凌統の肩に
手が、 置かれた
* * * *
息を切らしながら、呂蒙は走っていた。
早く広場に行って、凌統の無事を確かめないと。
早く、早く、早く。
気付けば、だいぶ道をはずれてしまっていた。
人が、まったくいない。
しまった。
走るのに夢中で、道を確認していなかった。
こんな時に、と、呂蒙は舌打ちをした。
多少遠回りにはなるが、このまままっすぐ行けば、確か広場には出るはずだ。
頼む、凌統。無事でいてくれ。
心の中でそう思いながら、呂蒙はただひたすらに走った。
* * * *
「うあああアああぁあぁあァ!!」
凌統が、恐怖のあまり、絶叫した。
そして、勢いよく肩の手を振り払う。
畜生。
後もう少しだったのに。
すべてを諦めかけたそのときだった。
「ちょっ、何だよ!そんなに驚くこたぁねぇだろ!!?」
聞き覚えのある声が、背後から聞こえる。
恐る恐る、振り返った。
そこにいたのは、ヤツじゃない。
甘寧 だった。
「か、甘寧!!?」
「そうだよ!やっと見つけたと思ったら、いきなり走りだしやがって!」
「あ……りく…そん…は…?」
まだ、がくがくする体を必死に押さえ、目の前に立っている甘寧に言った。
甘寧はそんな凌統の姿を不思議そうに見て、しゃがんだ。
「陸遜?……あぁ、見たぜ?途中で見失ったけどな」
ソレがどうしたと言いたげな顔。
けれど、凌統の顔はみるみるうちに青ざめていった。
しまった。
あいつは……
呂蒙さんのところに。
* * * *
駄目だ。もう、限界。
乱れた息をなんとか静めようと、近くの木にもたれかかる。
こんな暇なんてないのに。
体がついてこない。
無理も無い。
ここ最近、仕事や病気で鍛練をすることなんて無かったのだ。
体力、筋力。
すべてが低下していた。
畜生、畜生、と、何度も何度も呟く。
気持ちだけが焦って、体が前に進まない。
無理矢理、一歩を出そうとした時。
みィーつケタぁ…
そんな声が聞こえたと思った瞬間。
突然、背中に衝撃が走った。
ゆっくりと、前のめりになっていくのが自分でもわかる。
どうやら、当身か何かをされてしまったらしい。
倒れそうになった時、誰かにもたれかかった。
誰かを確認しようとしたが、体の自由がきかないため、顔を上げることができない。
だんだんと、周りの背景が暗くなる。
薄れゆく意識の中で
呂蒙の耳に残ったのは
歌うような、笑い声だった。
続く
大変長らくお待たせしました……。。
第六話、です。
今回はひたすら"怖く"をモットーに書きました。
こ、怖くなっているのでしょうか…?(汗。。
一時の幸せから、一転。
歌は狂い始めます。
これから彼らがどうなっていくのか
どうか、最後まで見ていってください。
これは、悲しい狂いの歌の物語。