おとこのこはあきらめませんでした。

なんかいもお願いすると、ようやくそのこはおしえてくれました。

おとこのこが歌をおぼえると、そのこはいいました。

『 いいかい、その歌はだれかを憎んで歌ってはいけないよ 』

おとこのこはくびをかしげました

『 どおして? 』

けれども、そのこはこたえてくれませんでした。














     狂 い 始 め の 歌

























さらさら

筆が書物の上を走る音が、静かな部屋に響いていた。
さっきまで陸遜と共に残った仕事を片付けていたのだが、陸遜は用事があると言って部屋を出て行ったので、この部屋には呂蒙しかいなかった。


倒れて四日目の朝、呂蒙は病室を出る事を許された。
ようやく、外出許可が出たのだ。

倒れてからというもの、何かと外に出してもらえなかった。
まぁ、それが当たり前なのだけれど、呂蒙は仮にも軍師候補の肩書きを持っている。
普通なら、無理をしてでも仕事をしろと言われてもおかしくないのだ。

だが、呂蒙には何も言われなかったどころか、ゆっくり休めと言われた。
ありがたいが、呂蒙は少し不安になった。

お前がいなくても大丈夫だと、そう言われているような気がした。

いや、そんなことは無いのだろうが、そう感じてしまったのだ。
それに……絶対にそうではないと言い切れなかった。

呂蒙は武人から成り上がったといっても過言ではない出世をした。
そのせいか、周りの文官たちからは良く思われていなかったし、自分よりも優秀な弟子も居る。
しかも、その優秀な弟子は、名高い名家の出身。
呂蒙は、貧しい農家の出。
どっちか軍師になるべきかなんて、誰が見ても一目瞭然だった。

それ故、呂蒙の耳にはあまりよくない話ばかりが聞こえてくる。
弟子を軍師にしたほうが呉の未来のためになるのに…と。



そんなことが頭に浮かんだが、呂蒙は首を横に振って浮かんだものを無理矢理頭から引き剥がした。

いけない。今はこの仕事に集中しなくては。
他ごとを考えている暇など無い。

そう思って、呂蒙はまた書物に目を落とし、筆を走らせた。



















* * * *


















結局、昨日は眠れなかったな…とか考えながら、凌統はただぼんやりと大量の書物を眺めていた。
凌統は今、書庫にいた。
ここなら暖かいし言い訳もきくし、一夜を過ごすにはちょうどいいかと思ったのだ。

そう、凌統は昨日、自分の部屋には帰らず、この書庫で一夜を過ごした。
なぜか、自分の部屋に行くのが怖かった。
自分でもよくわからないが、とにかく本能が今部屋に行くのは危険だと言っているような気がして。
…まぁ、こんな不安になったのは、昨日黒こげの髪留めを拾ってからなんだが。
黒こげの髪留めがあったから怖くて部屋に帰らなかったという理由ではあまりにも馬鹿馬鹿しいので、誰にも言ってなかった。
もちろん、相談もしていない。
凌統自身、別に相談することでもないと思っているのも原因の一つだった。


馬鹿馬鹿しい。なんで俺、髪留め一つにこんなにビビってるんだ?


そんなことを思いながら、凌統は懐から例の髪留めを取り出し、まじまじと見つめた。
たしかに、気持ち悪い代物ではあったが、別にのろわれているわけじゃあるまいし…と、軽く鼻を鳴らした。

馬鹿馬鹿しい。本当に。

凌統は髪留めを懐にしまい、立ち上がった。
部屋に戻るために。



書庫を出て、長い廊下を歩く。
自分の部屋につながる、見慣れた廊下。
それがいつもより長く感じたのは何故だろうか。

ようやく、自分の部屋が見え始めたころ、誰かが部屋から出てくるのがわかった。
足を止め、出てきた人物を見て、目を見張った。



それは、陸遜だった。



部屋から出て来た陸遜は、凌統に気付いたようで、にこり、と微笑んだ。


「凌統殿。こんにちは」
「…こんにちはじゃねぇだろ…。人の部屋に勝手に入って、何やってるんだ」
「何って、お届け物ですよ。凌統殿が居なかったので、勝手に入らせていただきました」


まるで当たり前のように、陸遜は言った。
怒る気もうせてしまった。
悪びれる様子なんてまったくもってない陸遜に一人怒っていては、ただの馬鹿だ。


「…まぁ、別にいいけどね……。ってか、届け物って、何?」
「それはお楽しみ、ということで。あ、お茶もいれておきましたので、是非、飲んでくださいね…?」
「……そう。お気遣いドーモ」
「いいえ」


ふふ、と、胡散臭い笑みを浮かべ、陸遜はその場を後にした。
陸遜の後ろ姿を見送ってから、凌統は自分の部屋に入った。

届け物というから、新しい仕事か、先日注文しておいた新しい武器かのどちらかかと思っていたが、そのどちらも違うらしい。
部屋には、それらしいものは置いていなかった。
そして、ふと自分の机に目をやった。

湯気を立てているお茶の横に、キラリと光るものに気付いた。








それは、中央部分に綺麗な石が埋め込まれており、周りは金で塗装されている、立派な髪留めだった,,,,,,









「!」


驚いた凌統は、思わず近くにおいてあった書物を蹴飛ばしてしまった。
がらがらと音を立てて散らばる書物。
しかし凌統はそんなものに意識はいかなかった。

凌統の思考は、完全に髪留めの方に向いていた。


無くした筈の髪留めが、戻ってきた。
綺麗なままで。

これは、何を意味するのだろうか。
混乱した状態だったが、何とか思考を考える方に向けた。
そして、思い出した。


無断でこの部屋に入った、陸遜の事を。









一瞬、鳥肌が立つような寒気を覚えたが、必死に自分を落ち着かせた。

いや、そんなはずは無い。そんなはず無いと、そう言い聞かせ、恐る恐る髪留めに手を伸ばした。
指先が、髪留めの石に触れる。
形を確かめるように、そっと持ち上げた。


特に変わった事は無い、買った時と変わらない髪留め。
こんなものに俺はビビってたのかと、馬鹿らしく思えて髪留めを握った。



握ったのと、鋭い痛みが走ったのは、同時だった。

驚いて自分の手を見てみると、紅い水滴が、手首を伝っていた。



「っ!!」



思わず、その髪留めをおもいっきり床にたたきつけた。
パキン。という、髪留めが割れる音がした。

そして、その髪留めから、何か細長いものが飛び出した。


それは、針だった。







髪留めに,,,,針が仕込んであったのだ,,,,,,,,,,,

















おそらく、見ただけではわからないようなところに針を仕込ませてあったのだろう。
握ったりした時に、針が刺さるように。



悪戯なんていうレベルではない。
完全に悪意と、敵意があるものからの嫌がらせとしか思えなかった。
そうでなければ、こんな手の込んだやり方などしない。


こんなやり方を選び、なおかつ凌統に悪意を抱いている人物。
それは、一人しか居なかった。


届け物だといって、この髪留めをこの部屋に持ってきた、陸遜ただ一人。







陸遜の名前がはっきりと浮かんだ時、机においてある、まだ湯気を立てているお茶の入った湯のみが目に入った。
あいつがいれた、お茶。

是非、飲んでくださいと、あいつは言っていた。



お茶の湯気が、まるで誘っているかのように揺れていた。
ゆらゆら、ゆらゆらと。




とっさに、凌統は湯のみをつかんだ。

そしてそのまま、力任せに、それを壁に投げつけた。



湯のみは部屋中に響くような大きな音を立てて粉々に砕け散った。
中に入っていたお茶は、まるで血の痕のように壁をつたっていた。

凌統は、息を乱しながら、あたりを見回した。


あいつは、何処を触った?
この部屋の、何処に、何を仕掛けた?
きっとあいつの事だ。被害にあってからしか気付かないようなところに、仕掛けてあるに違いない。

そう思った凌統は、本棚に手をかけた。
本棚を倒し、書物をすべてひっくり返した。
けれど、まだ恐怖と不安は治まらなかった。
次は、机を倒し、寝台をもひっくり返してしまった。

それでも、凌統は止まらなかった。





何かに取り付かれたかのように、凌統は部屋中のものすべてを壊し始めた。
ただ、恐怖に怯えながら。




















* * * *



















その少し前。
呂蒙はたまった仕事を終え、様子を見に来た甘寧をさそって、酒を飲んでいた。
そういえば、だいぶ酒なんて飲んでいなかった気がする。
だから、久々に飲む酒はとびきり美味かった。


「なぁ、オッサン」


笑い話で一通り盛り上がった後、甘寧が杯を軽く回しながら言った。


「なんだ?もう酒は無いぞ」
「そうじゃなくてさ。オッサンはどう思ってんのかなぁって」
「何が?」
「だから、陸遜とか、凌統とかの事」


うーん、と、呂蒙は少しうなった。


「別に…。陸遜はいい弟子だと思うし、凌統は手のかかる子供みたいなものだと思ってるが?」
「子供って……。ま、いいけど」
「それがどうしたんだ?」
「ん〜。別に特に意味はないけどさ。ただ……」


言いかけて、甘寧は口をつぐんだ。
呂蒙は首をかしげる。


「ただ…って、どういうことだ?」
「………それは……」


甘寧が口を開いたと同時に、何かが割れる音が響いたかと思うと、すさまじい音が続けて響いた。
二人は驚いて、音のした方を反射的に見た。

そして、気付いた。 音がした方向は、凌統の部屋の方だと。


「何事だ!?」
「知らねぇ、けど、凌統に何かあったんじゃねぇのか?」
「とにかく、行くぞ」
「了解」


短い会話を交わし、二人は凌統の部屋へと走った。
二人が部屋へ向かう間も、音が止む事は無かった。
何かが壊れるような音と、倒れるような音が、交互に響く。

そして、二人は凌統の部屋にたどり着いた。
やはり音源はここだった。
甘寧が扉に手をかけ、勢いよく扉をひらいた。


そして二人は、その光景を見て、言葉を失った。

そこは呂蒙たちが知っている部屋ではなかった。
砕かれた机。
倒れた本棚。
散らばって、ばらばらになってしまった書物。
もはや使い物にならない寝台。
原型さえとどめていないものも、部屋に飛び散っていた。


そして、破壊行為は今も行われていた。
この部屋の主の手で。



「凌統!!なにやってんだ、テメェ!」


甘寧が叫ぶが、凌統の耳にはまったく届いていないらしく、その行為が止まる事はなかった。
ただ、常に動いている口からは、どこに隠した、どこに隠したと、そればかり繰り返していた。

凌統が壊れた。
そう、呂蒙は思った。
それと同時に、助けなくては、やめさせなくてはとも思ったのだった。


「オッサン!?」


甘寧が驚いたような声を上げた。
だか、それを無視して、呂蒙は凌統の元へと足を進めた。
近づく呂蒙にも気付かず、ただただ破壊行為を続ける凌統。
そんな凌統を、呂蒙は助けたかった。

そして、凌統の肩に手を乗せたその時。



「凌統、落ち着け!」
「う、うぁぁぁぁあぁああああああああああぁあああぁぁぁあ!!!!」



すさまじい悲鳴を上げ、凌統が振り向いた瞬間、呂蒙の腕が紅く染まった。
凌統は、持っていた木の破片を、呂蒙の腕に突き立てたのだ。

紅い血の雫が、空中を舞った。

そしてその内の一滴が、凌統の頬についた。


「っ……」
「オッサン!!大丈夫か!?」


とっさに駆け寄った甘寧が、腕を押さえてよろける呂蒙を支えた。
そして呂蒙の腕に刺さっている木を抜き、いつも頭に巻いている布を呂蒙の傷口付近にきつくまきつけた。
結構深く刺さってしまったらしい。
止血をしても、また傷口からはかすかに血が溢れていた。


「おい、何やってんだ!!正気に戻りやがれ!!馬鹿野郎!!」


呂蒙の腕を押さえながら、甘寧はただ呆然としている凌統に怒鳴った。
そして数秒後。
凌統はようやくこちら,,,に戻ってきた。


「お…俺は…何を……」


すべてを理解するのに、少し時間がかかった。
ぐちゃぐちゃになった部屋。
壊れた家具。
そして、今にもぶち切れそうな甘寧に抱かれている、呂蒙。
それらすべてに危害を加えたのが、自分だという事に。


「…そんな…俺は……っ!」


俺は、悪くない。
そう言おうとしたが、言葉が出てこなかった。

すべて自分がやった事。
それは言い逃れ用の無い事実だったから。


「やっと正気に戻ったか、馬鹿野郎が!」
「…っ」
「お前の所為で、オッサンが…」
「甘寧。いいから。そんなに責めるな……」
「けど…!」
「甘寧」


腕を押さえながら、呂蒙は短く言い放った。
甘寧は、それから何も言わなかった。
呂蒙の言う通りにしたのだ。

そして、呂蒙は凌統の目を見た。


「凌統。何があった」
「呂蒙さん…俺……」
「落ち着け。落ち着いて………」


呂蒙が凌統の頭を優しくなでた直後、落ち着きが戻ったた部屋に、また新たな悲鳴が響いた。
だが、今度はこの部屋に居る者の悲鳴ではなかった。


「ったくもう!!次から次へと!!」
「今度は何事だ!?」
「いい。俺が見てくるから。オッサンはここに居て」


甘寧は軽く舌打ちをして、悲鳴がした方へと向った。
どうやら、今度の悲鳴は、中庭からしてきたらしい。
悲鳴を聞きつけた野次馬が、中庭に群がっていた。
それを押しのけて、甘寧は悲鳴を上げた本人と思わしき女官に声をかけた。


「いったい何があったんだ!?」
「か……甘寧様…!人が……木に!!」


そう言って、女官は上を指差した。
指差した方向を、ゆっくりと目で追う。

女官が指差したモノを見て、甘寧は目を見張った。





それは、腹を真っ赤に染めた、文官の首吊り死体だった,,,,,,,,,,,











続く









お待たせしました、消心狂歌第四話です。
いよいよ針がゆっくりと動き始めました。
ていうか、この連載、呂蒙さん酷いめにあいすぎですよね。。
話の構造上、仕方の無い事なのですが……。

この話をまとめるのに、ものすごく時間がかかりました。
どうやったら、狂いっぷりが表現できるだろうかと、何回も何回も調整しなおしたところ……
あまり最初とかわらなくなりました(駄目じゃん

っていうか、この連載でついに死人がでてしまったよ…orz....