あの人の涙を見たことが無い。

記憶をたどれば、必ず笑っている姿がそこにはあった。

不安を感じつつも、その笑みをみていると、きっと大丈夫だと思ってしまった。






        の行く末







「呂蒙さん」


凌統は抱えきれないほどの書物をもってあるいている呂蒙に話しかけた。
呂蒙はそれに気付いたようで、振り向こうと足を一歩引いた。

「おぉ、凌統か。どうし……――おわっ!?」
「あーぁ…」


呂蒙が振り向くと同時に、書物が音を立てて床に転がり落ちた。
床に散らばっている書物の量は、半端じゃなかった。
中には、かなり古いものもあるようだ。


「ちょっと…量、多すぎるんじゃない…?コレ」
「ん?そうか?足りんくらいだと思うんだが…」


ちらばった書物を拾いながら、さらりとそんな事を言う。


「呂蒙さん、変わったね…」


凌統は少し懐かしむように小さく呟いた。


「前だったら、絶対にこんな書物なんて読まなかったじゃんか」
「それはもう何年も前の話だろうが…」
「んー…でも、俺の相手をしてくれなくなった」


前は手合わせとかよくやったじゃん。と、凌統は近くにあった書物を拾い上げながら言った。
呂蒙は苦笑して、凌統が拾ってくれた書物を受け取る。


「しょうがない。仕事も増えたんだ。それに、周瑜殿の後を継ぐのに恥ずかしくないようにしなければ」
「…すごいねぇ…」
「孫権様からも頑張るように言われてるんだ。期待を裏切らないようにしなきゃな」


笑いながら、呂蒙は言った。
きっと、長年付き合ってきた凌統にしか分からなかっただろうが、今の呂蒙の笑みは、少し疲れが出ている。
無理矢理笑みを引き出しているような、そんな笑み。
だが、呂蒙は疲れなどのマイナスの感情を隠すのはなぜか上手い。
凌統でさえ、これに気付くのに1年以上かかったと思う。
未だに、分からない時だってある。

呂蒙は、人に弱いところを見せるのを嫌う人だった。
それは、今も昔も変わらない、意地。
最近になって、さらに無理をするようになると、その意地はいっそう強くなっていった。

弱いところを見せて、心配などさせたくない。
そんなことで、余計な時間をとらせたくない。

それが、呂蒙の思いだった。


(無理しなくてもいいのに…)


そう凌統が思った時だった。
呂蒙が拾おうとした書物が、呂蒙の手に触れる前に姿を消した。
いや、正確には、蹴り飛ばされたのだ。

通りかかった文官二人が、呂蒙が拾おうとした書物を蹴ったのだ。
蹴られた書物は、壁にぶつかり、そこでとまった。
文官は笑っていた。
わざと蹴ったのだ。


「あぁ、ごめんなさいね。阿蒙さん。まさかこんなに大事な書物が散らばってるとは思わなかったもので」
「こんなにたくさん持って、どうせ部屋に山積みにしておくだけでしょうに。ねぇ…?」


くすくすと笑いながら、未だ書物を拾っている呂蒙を見下すように言った。


「あぁ?呂蒙さんにむかってなにを――」
「やめろ、凌統」


つかみかかろうとした凌統を呂蒙は止めた。
そして、文官たちに向かって笑いかけた。


「すいません、俺の不注意です。すぐに片付けますので…」
「早く片付けてくださいね?こんなものに足止めを食らう時間などないのですから」
「……申し訳………ありません…」


呂蒙は立ち上がり、軽く頭を下げた。
文官たちは、鼻で笑い、さっさとその場から去っていった。
その間、呂蒙はずっと頭を下げたままだった。






「なんで止めたんだよ、呂蒙さん」


完全に文官の姿が見えなくなると、凌統は小さく呟くように言った。
呂蒙は蹴り飛ばされた書物をひろい、ゆっくり立ち上がり、凌統を向き合った。
彼は、笑っていた。

ただの笑みではない。
悟っているような、諦めたような……そんな、笑み。
ちくり、と、凌統の胸が痛んだ。

なぜ、この人はこんな表情かおをするのだろう。


「いいんだ。もう」


ため息混じりに、苦笑しながら呂蒙は言った。


「今に始まったことじゃない。もう…慣れた」
「…どういう意味だよ?」
「俺が周瑜殿の後を継ぐことが決まってからずっと、って意味だ」
「それって……一年くらい前からじゃ…!?」
「んー…まぁ、それくらいか。今のはまだましな方だし、お前は気にしなくていい」


そもそも、こんなところで書物を落とした俺がわるいんだから、と、また笑う。

…ちょっと待て……ましだと…?
あれ以上のものを、一年間も受けて他って事か…?


「呂蒙…さん…」
「……」
「ずっと、あんな事に耐えてたわけ?俺に相談もなしに」
「それは…」
「どうしてだよ!?俺はそんなに…」


語尾がだんだんと弱まる。
うつむいた凌統は肩を震わせていた。


「俺は、そんなに頼りないか!?俺がたよりないから、悩みさえも話せない…」
「違う!!」


凌統の発言を、呂蒙の叫びに近い声がさえぎった。
驚いて、凌統は呂蒙を見る。


「違う。俺は………お前を巻き込みたくなかっただけだ」


ぎゅ、と、呂蒙は抱えた書物をさらに強く抱きかかえた。
手が……肩が、震えている。
一瞬、凌統は泣いているのかと思った。
だが、呂蒙は泣かなかった。
ただ、悲しいような、不安なような、そんな顔をして…


「嫌われるのは、俺一人で十分だ。…お前まで、巻き添えになることはない…」


くるりと、呂蒙は凌統に背を向けた。


「悪かったな、時間とらせて。今日のことは、忘れろ」


そう言って、歩き出す。
歩き出した呂蒙を止めようと、凌統が口を開く。

だが、声がでなかった。

呂蒙を引き止めるだけの、言葉が見当たらない。
何を言えば、彼を引き止められるのか。
何を言えば、彼はすべてを話してくれるのだろうか。

否――…
そんな言葉は、無いに等しいだろう。
今の呂蒙は、凌統が思いつくような言葉ですべてを話してくれるほど、弱くなく、そして、脆かった。

呂蒙を捕らえようとした右手が、宙を切る。

そこに残された凌統は、つかみ損ねたその右手をじっと見つめ、感情のままにそれを壁に叩き付けた。
鈍い音が響き、右手に痛みが走った。


「………畜生…」


彼の涙の行く末は、確実に、孤独に満ちた闇。
たった一人で、その目から溢れる涙をぬぐっている。

誰にも知られることなく、落ちていくそれ。
それを優しくぬぐう術を、凌統は知らない。


「畜生っ………!」


まだ若い青年は、自分の不甲斐なさに、一人涙を流した。






























久々に書いた小説です。
ど、どうでしょうか・・・?
呂蒙さん、田舎者で、しかも前科一犯、そして元武将というとんでもないものを背負って軍師になるという事は、きっと他の文官たちは気に入らなかったのではないかと思いまして…
こんなものを書いてしまいましたorz...

呂蒙さんは、絶対に人前では泣かないと思うのです。
それは武将時代に築いたプライドだったり、皆に心配をかけたくないという思いだったり。
それにさらに期待や妬みやプレッシャーが追加されると逆に泣けなくなってしまうんじゃないかと。

はい、妄想です。完全に私の妄想です(オイ
しかも最終的に凌統が泣いてるし。。
どうなってるんだ…(お前の脳内がな